中国ホームステイ

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私の留学経験 :NPO法人国際交流支援協議会 中国 ホームステイ ライフ サポート プログラム(中国でホームステイ)

私の留学経験(一)

 まず自己紹介をしますね。私はルルと言います。今年は30歳になりました。2001年から2006年までの5年間、日本に滞在しました。そのうちに、4年間は留学で、1年間は仕事でした。今は中国の石家荘学院で日本語を教えております。ワイアールシーの おかげで、このブログを始めるようになりました。ブログを書いたことはないですが(ふるい人間だと思われるかもしれませんが...)、これから続けたいと 思います。ブログに自分の留学経験や、今の中国事情などいろいろ書きたいのですが(日本語と中国語で)、読んでくださる皆さんに少し役立てばうれしいで す。もちろん、質問にもお答えします。

 では、まず留学経験から話しましょう。

首先,我来自我介绍一下。我叫lulu,今年30岁。2001年至2006年的5年,我一直在日本。这之中,留学4年,工作1年。现在,我在中国的石家庄学院教日语。感谢YRC,我才开始写这个博客。虽然我从没有写过博客(可能有人觉得我很老土...),但是从今往后我会继续下去。博客中我想写写我的留学经历、当今的中国现状等很多内容(中日文对照),如果对大家有一点帮助的话我会很高兴。当然,我也会回答大家的问题。

私 は日本へ留学に行こうと決めたのは大学二年生のところでした。専門は日本語ですから、日本はいったいどんな国なのか、行ってみたいという単純な考えでし た。実はそのとき、うちの経済状況はそれほど裕福ではなかったのです。今からみると、私がけっこうわがままだなあと分かりました。

我决定去日本留学是大学二年级的时候的事。因为我的专业是日语,所以只是想去看看日本到底是什么样的国家。事实上,那时候我家的经济条件并不富裕。现在看来,我是一个很任性的孩子。

日本に着いた後に、まず物価の高さに驚きました。中国で1個15円ぐらいのトマトが日本で120円 なんてとても信じられませんよ。(逆に、日本人がもし中国にいらっしゃったら、こちらの物価にも驚くでしょう)それでも、清潔な町並みと、便利なインフラ 施設と、礼儀正しい日本人にすぐ好感をもってきました。しかし、最初の大学は中国人の留学生が大変多くて、日本語をしゃべる機会がほとんどありませんでし た。そして、バイトしながらいっぱいしゃべりました。日本語が上達になったおかげで、日本に着いた2年後に横浜国立大学の大学院に受かりました。

到达日本后,首先让我感到吃惊的就是日本的物价之高。在中国仅仅1块钱1个的西红柿在日本居然卖到120日 元,令人难以置信。(相反,如果日本人来到中国的话,也会对这里的物价很吃惊吧)即使这样,我还是很快就喜欢上了日本干净的街道、方便的生活设施和礼貌的 日本人。但是,最开始上的大学里有很多中国留学生,几乎没什么说日语的机会。于是,我经常打工的时候练日语。因为日语有了很大进步,我在到了日本的2年后考上了横滨国立大学的研究生。

語学勉強している皆さんへのアドバイスとしては、外国語をはやく上達させたいなら、絶対邦人の少ないところへ行くほうがいいです。もう一つの方法があります。それはその国で恋をしてみてください。恋の力は大きいですよ!恋人はもちろんその国の人です。

「えっ!ルルは何人と付き合ったのかと?」

「それは内緒!」

じゃ、恋と語学勉強を両方獲得できるようにお祈りします。

给学习外语的各位一个建议,如果你想让自己的外语很快进步,那最好去一个本国人少的地方。还有一个办法,就是在那个国家谈恋爱。爱情的力量可是很大的!当然你的恋人是那个国家的人。

你问我和几个人谈过恋爱?

那可不告诉你!

我祝愿各位能够爱情和外语双丰收!


私の留学経験(二)

今回はアルバイトのことをお話します。

前回はお話しましたが、うちの経済状況があまり豊かじゃない ほうですから、日本に着いた3ヶ月目からアルバイトを始めま した。アルバイトを探す経験を話しますと、たくさんの失敗を しましたが、今でも思い出したら面白くて笑い出すことがあり
ます。

今天我想说说在日本打工的事情。

上次我提到我家的经济条件并不富裕,所以到了日本后的第3个月我就开始了我的打工生活。说起找工作的经历,经历了很多失败,现在回想起来会觉得很好笑。

バイトの募集先に電話する前に、すでに先輩たちにいろいろ教えてもらいました。それでも、電話番号を押したら、やはりす ごく緊張して、手のひらに汗いっぱい。もともとは日本語があ まり上手じゃないのに、緊張のせいで電話中にさらに言えなく なってしまい、結局アルバイトが見つからないどころか、面接 の機会さえ得られませんでした。

虽然在找工作之前我已经向一些学哥学姐讨教过。但是当我拨通了对方的电话号码,手心还是会不由得冒出汗来。日语说得本来就不太好,一紧张就更是结结巴巴的。结果可想而知,不仅找不到工作,连面试的机会都得不到。

何回も電話したらだんだん慣れてきて、すこし話せるようにな ってきました。たまに面接してくれるところもありました。初 めての面接は今でもはっきり覚えています。応募したのはホテ ルの清掃係で、面接してくれたのは60歳前後の男性でした。あの人はホテルの支配人で、一見やさしそうな人です。あのときはルームメートと一緒に面接を受けました。「この仕事の内容は分かりますか」と質問されました。
「部屋の掃除ではないでしょうか」と私がすぐ答えました。 「そうですが、でも、うちのホテルは一般のホテルとちょっと違って、お客さんがよく男女二人で来るんです」と支配人ができるだけ簡単な日本語で説明してくれました。
「男女二人ってどういうこと?」私が隣のルームメートに聞きました。
「ラブホテルのことだよ」とルームメートが小さい声で言っていました。
「そうか!」と私がやっとわかりました。中国にはこういうホテルはないのだから。

后来打了很多次电话后才不那么紧张了,偶尔也有了面试的机会。第一次面试的情形我现在还记得很清楚。我应征的是一家旅馆的清扫工作,为我面试的是一位60岁左右的男人,他是那家旅馆的负责人。我和我的室友一起接受了面试。

他问我们:知道工作的内容吗?

我马上回答说:不就是打扫房间吗。

是的,不过我们这里的旅馆和一般的旅馆不太一样,客人来的时候都是一对一对的。

一对一对的?什么意思?我问室友。

就是情人旅馆!室友小声对我说。

噢!我恍然大悟。因为在中国是没有情人旅馆的。

 面接の経験が増えて、次第に日本人のことが理解できるようになりました。もし面接されるとき、面接官が最初から最後までずっとニコニコして、簡単な質問ばかり聞き、終わったところに「結果を待ってくださいね」と親切に言ってくれたら、それはもう終わりです。最初これを知らなかった私がけっこう
待たされました。実は「結果を待ってください」という言葉は断りの遠回しなのです。日本人が相手を刺激しないように直接に断らないことが分かってきました。けれど、長く待たされることも辛いです。日本人がどう思いますか。

随着面试次数的增多,我也开始了解了日本人的特点。如果面试的时候,面试官自始至终都是笑眯眯的, 只是问一些简单的问题,结束的时候还会很热情的说回去让你等消息,那结果往往都是不合格。开始的时候我总是会很耐心的等回信,慢慢的才知道那不过是一种委 婉的拒绝而已。于是我明白了,日本人为了避免刺激对方是不会当面拒绝别人的。可是日本人是否想过让对方在一天一天的等待中受煎熬也是一种痛苦呢。

このほか、忘れられない面接がもう一回あります、それはワイアールシーの面接です。あのとき、私は横国大に入ったばかりで、バイトがほしかったのです。ちょうど学校の掲示板にワイアールシーの募集チラシを見ました。正直に言うと、あの時先生になった経験もないし、日本語で中国語を教えることなんて自信もありませんでした。向こうが電話に出たら、マネージャー(岡田さん)に「すみませんが、今のところは講師がもういっぱいで」と言われました。
「でも、面接だけは受けてみたいです。もし合格できれば、いつか授業があったら呼んでいただければいいです。」たぶん、岡田さんが私のようなしつこい面接者に会ったこともないから 、しょうがなくて面接してくださいました。
面接の結果はもちろん合格。そうじゃないと、今のブログを書いているわけもないでしょう。それに、岡田さんに出会って以来、ご家族の皆さんまでも仲良くしています。これからも、この友情を大切にしていきたいと思います。

还有一次比较难忘的经历,就是在YRC的面试。那时我刚刚考上横滨国立大学,需要找一份工作,正好在学校的公告栏里找到了YRC的招聘信息。说实话我从来没有当过老师,用日语教日本人学汉语也没什么自信。电话接通后,负责人(就是冈田先生)对我说:不好意思,我们现在暂时不需要老师了。

没关系,我可以先面试,如果可以的话,以后有课我再去。可能是冈田先生没见过这么没完没了纠缠不休的应聘者,无奈之下同意了我的请求。

面试的结果当然是合格了,要不然我也不会在这里写博客了。而且自从认识了冈田先生以后,他的家人也都和我成为非常好的朋友。我会一直珍惜着这份友情的。


私の留学経験(三)

11月15日はこちらの暖房入りの日です。家に暖房がついたら、シャツ一枚でも十分です。

(ちょっ と説明します。「暖房入り」は私の造語です。中国の北方は冬が寒いですから、家々に暖房がつけてあります。でもこの暖房は電気や灯油を使わず、お湯を循環 させています。そのお湯は「供熱局」という公共機関に提供されるとなっております。もちろん、「暖房明け」もあります。大体来年の3月15日前後になりま す。)

昨天是来暖气的日子。来了暖气以后,即使在家里穿一件衣服也一点不冷。

私は寒さが苦手ですから、日本にいたときは、冬になるといつもホームシックになっていました。日本のストーブやエアコンは、ストーブの臭さとエアコンの高価な電気代になかなか慣れなかったです。これも私が帰国した理由の一つだと言えます。

记得在日本的时候,因为我很怕冷,一到冬天就会很想念家乡的暖气。虽然日本也有煤油炉和空调,但是煤油炉的难闻气味和耗电的空调都是和我们的暖气没法比的。这也是我选择回中国的理由之一。

日 本にいるとき、「なんで日本に来るの?」と日本人によく聞かれました。また中国に帰った後に、「なんで中国に帰ったの?」と中国人によく聞かれています。 こうみると、日本人は外国人がどうして自分の国に来るかに関心しているのですが、中国人は国外へ行ったら、特に先進国へ行ったらどうしてまた戻ってきたか に関心しているようです。つまり、日本人の集団意識が強くて、外人の到来により自分の生活に影響を与えるかに心配していて、多くの中国人は先進国の生活レ ベルは自国より高いと思い込んでいるようです。

在 日本时,经常会有人问我:你为什么来日本?。回到中国以后,经常会有人问我:你为什么回来?看来,日本人关心的是外国人为什么要来自己的国家。而 中国人关心的是去了国外,尤其是发达国家以后为什么还要回来。或者可以说,日本人的集团意识让他们更在意外人的到来对自己有什么影响。而中国人很多都认为 发达国家的生活比一定国内优越。

実 は、こう考えているのは大体外国へ行ったことのない人たちです。私も国を出てから、中国語の難しさ、中国歴史の深さ、自分の国について知らないことがたく さんある事にはじめて気が付きました。それに、日本は生活が便利で、環境が清潔で美しいのですが、自分の家ではない。私の家は中国にしかないということ も、中国に帰ってきた後に気づいたのです。きっと、自国を出たことのある人たちは私と共感しているはずです。

其实,这只是没有出过国的人的想法。我也是出国以后才知道,汉语是多么深奥,中国历史是多么悠久,自己对自己国家的了解是多么肤浅。回到中国以后才知道,日本虽然生活便利,美丽洁净,但那里不是我的家。我的家在中国。相信每一位出过国的人会和我有同感。

け れども、留学の経験があったからこそ、中日友好に貢献していきたいと思うようになったと言えます。今の時代では、中国と日本の間に、まだまだたくさんの誤 解が残されています。自分の最大の力を尽くしてこれらの誤解を解いていきたいのです。お金のためではなく、名誉のためではなく、ただ中国と日本にいるたく さんの親切かつやさしい人々のために精一杯がんばります。

但是正是因为有了这段留学经历,让我更愿意投身于促进中日友好的伟大事业。中日之间有着太多的不解和误会。我愿意尽我最大的努力去化解它们。不为钱,不为名,只为中国和日本那些热情善良的人们。